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業界初めてのプライベート商票

「藤絹織物株式会社」と「都喜エ門」商標
 正式には、藤絹織物株式会社で製造された大島紬で、
藤絹織物株式会社による自主検査をしたもので合格した物のみにこの商標が付されています。
後にはその中で秀逸なものに『都喜ヱ門』の商標が付けられるようになりました。
代表取締役が、藤都喜七で、その名前から『都喜ヱ門』のブランドが生まれました。

 大島紬は、鹿児島の織物組合で検査された物は、旗印。奄美の織物組合で検査された物は、地球印。都城の組合で検査された物は、鶴印。
それぞれ何処の組合に属し、何処の組合で検査されたかにより、検査の商標は違うのであり、どの商標がいいと言うことはありません。品質に優劣があるわけでもありません。

 良く地球印が本物で、地球印の方が良いのだ、といって売り込む呉服店もあるみたいですが、根も葉もないことです。

 全ての、大島紬のメーカーは、いづれかの組合に属していますので、公的機関による、信用の裏づけとして、各組合の検査を受け、それぞれの組合の検査商標をつけ、市場にだしています。

 大事な点は、組合と言う公的な機関で検査をを受けたあと、もう一度、自主検査をすると言う事です。此処がポイントです。
つまり、公的機関で合格であっても、自社の検査で、自社の名を語るに相応しくない商品は不合にすることは多々ありました。

この厳しい品質管理が、後の「都喜エ門」ブランドの大きな礎になっています。
私的なことを申しますと、藤絹織物の製品検査官として、従事できたことは「物を正しく見る力を養っていただいた貴重な体験でした。追って裏話も、おいおいお話させて頂きます。

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もう一つの商標(縞格子のジャンル)  
 公的な機関での検査された検査証に付け加えるべきものこの二種類がございます。
機械で織った無地・縞・縞格子。よこ糸だけに、絣加工されて織られ柄表現された物。
通称「よこそう」と呼ばれている物です。

本来は、機械織りで織られたもの・手織りのもので織られたものの区別が主目的でした(管轄している機関が違うという要素もあります)。ヨコ織も当初は手織りで織られていましたが、機械で織れるまで技術高まり、ほとんど機械でおられるようになりました。

それらとキッパリと差別化あするために、生まれたのが、都喜エ門の開発した「手絣」です。これは、絣作りから、織まで、手抜きすることなく、全て、縦横絣の大島紬と同じ手作りです。「手絣」商品を開発し、ブランドを認知、定着させた、私は当事者ですので「手絣」に関しては、後日コーナーを設けます。  

  解りやすくもう一度整理いたします。
商標につきましては、何回も、色んな角度から説明いしていますので、お読みになられた方は、呉服屋の販売員さんより詳しくなっておられるはずです。

 そのことを確認したうえで、付け加えて説明する商標が2つあります。
機械で織った、大島紬に貼られるもので、主に、縞、格子が多いです。

 安いから、品が悪いのでは?とか、私の持っているものは、安物だから、私は、安物しか買えないからと自分を卑下される方がおられます。決してそんな事はございません。

 昨年、大阪のOLの方がメールで飛び込んでこられ、説明し、納得していただくのに苦労した事が御座いました。

 機械で織られる縞格子は、品質が悪いから安いのではありません。製作工程が、絣を使った大島紬と比べ、全く違い、大島紬の着味を味わえるぎりぎりの合理化がされて生まれたものと解釈して下さい。

 只、厳密に言うと、糸がこなされてない分、まだ風合いが硬く、微妙に、体に添わないような気がするという声は聞きます。

そこで私は、湯通し、仕上げ加工をする時点で、手織りの物にかなり近い着心地を楽しんでいただけるよう、特殊な技法で、ひと手間かけています。殆どの方に納得していただいております。

 ちなみに、私は、おしゃれな縞格子の世界に今挑戦しています。
グルメの方々は、最終は、お茶付けか、素うどんに還るといわれています。

 大島も同じでは?織物の意匠の中では、縞格子の歴史は深く、織物意匠のもう一つの源流といっても過言ではないでしょう。

 お仕立て上がりの10万前後で、大島紬の着心地と、おしゃれなセンスを楽しんでいただける物ができたとしたら。

大島入門の縞格子でありながら、感性を楽しむ大島卒業の縞格子そんな物を作りたく挑戦しています。

 大島の仕立ては、目が詰まっているから縫い難いと言うより、生地がすべるから、合わせ縫いがしにくいと良く聞きます。

 お裁縫の先生にマンツーマンで手ほどきを受けられる事お奨めいたします。

初めの商標は、奄美の組合で検査受けた縞格子の商標(摘要欄に縞格子の印)。
下は、鹿児島の組合の検査を受けた縞格子の商標(色がオレンジ、縦横絣用の検査商標はブルー)です。

縞格子に関しては、この二つの商標を確認されてから、購入されたら間違いは少ないと思います。

商標に関しては、他産地に於いても非常に紛らわしいものが多すぎます。業界人として非情に恥ずかしい事で、裏事情を知っている故に申し訳ない気持ちすらあります。

行く着く所は自分の信念で自分のブランドで世に出す方向に行くと思います。

    

公的機関の発行している、主たる商標は、これで出揃いました。

 あとは、都喜ヱ門などのプライベートブランドの商標が御座います。
このシリーズで、何回もご説明致しましたように、その機やさんが、
何処の組合に属し、何処の組合で検査を受けるかにより、商標は変わってきます。

 検査規定は、各組合さほど違いませんので、品質の差はない、といっても過言ではないでしょう。 ただ、風土、環境背景の違いにより、作風が違うのは、健全なことかもしれません。

 奄美は、ティーチ木と、泥田を神様から資産としていただいている地です。
その資産に感謝しながら、その資産を最高に生かす努力を重ねてきた故に、世界稀なる技術を持っています。
時代の流行を追っかけまわす、器用さと華美さはありませんが、大自然にはづくまれた、心休まる穏やで、人間味が織り込まれや、温かさがあります。

 鹿児島は、集散地に近いだけ、マーケテングリサーチがなされ、時代に対応した、色柄の取り込みが早いように思います。それに伴い、最近の流行を生かすための技術革新は、今迄熱心だったように思います。

 都城の方は、、前記、両組合と違い、離れた地にあることに加え、絶対的に生産量が少ない為、消費者の目に触れる率が少なく、よほど個性的なもの、秀逸な物を作らなければ、消費者に見捨てられる。
その危機感が、個性的な素晴らしい物を産み、素晴らしい大島を残してくれたのだと思います。

 この様な背景から生まれた大島紬、さて、皆様は、どのような大島を選ばれますか。
私は、大島を愛する物の一人として、産地の人間として、金額の安い高いに係わらず。自分の目に適う物、良心に恥じない物のみにドクター大島紬として推奨していきたいと思っています。


今日は、新たな商標を紹介いたします。

 都城絹織物事業協同組合の商標です。 通称、鶴のマークとして愛されています。
桑原織物と東郷織物が中心になりつくれれた組合で、宮崎県の都城市に所在します。

 桑原織物は、全総絣と言う、画期的なな大島紬を開発した機屋さんです。
都喜ヱ門は、総絣という技術を開発しました。
これは、緯糸は、絣緯糸、と、地緯糸で構成されていて、普通の大島は、地緯糸は、無地の糸が織り込まれています。 この無地の地緯糸に加工したことでさえ当時、画期的なことでした。 

 桑原織物は、それに勝る技術で、地経糸にまで柄加工をして、見事に織り上げたのです。 大島紬の縦糸の構成は、絣経糸と地経糸で構成され、普通の大島紬の地経糸は、無地の糸が使われ織り込まれています。
なんと、絣経糸、地経糸、絣緯糸、地緯糸、4種類の全てに糸に加工をして、見事に織り上げたのです。
技術的には、私の知る限りにおいては、最高峰でしょう。この全総絣の大島を織り上げるに、余りのきつさに織子さんが何人も逃げ出したと聞きました。
よくもまあ、此処まで挑戦したもんだと、感嘆すると同時に、職人魂に身震いすら覚えます。

 東郷織物は、永江明夫氏がこの地で創業されました。
都喜ヱ門が、私にとり、大島紬の父であるならば、長江明夫氏は、大島紬の母として、敬愛、尊敬している人です。

 長江氏は、奄美、鹿児島と同じ物を作っていては負けるとの危機感から、 綿薩摩に挑戦され、見事その地位を確立されました。

当時の民芸運動家、柳氏との交流が、作風に大きな影響を与えたようです。
着物マニヤであれば、真の着物ファンであれば、最後に欲しい垂唾の逸品が綿薩摩でしょう。
私は、何人もの人に、この綿薩摩を紹介していますが、大島、結城、以上の着心地で、穏やかな安心感に包まれ癒しの着物と、どの方からも感謝されます。

もともと都城は、製糸工場があつて、絹にたいするなじみにある地だったのでしょう。大島から疎開された職人さんたちが住み着いて、奄美、鹿児島と又違う、作風の大島紬が生産されています。
いつか、それぞれの作風の特徴について述べてみましょう。
風土がつくる作風の違いとでも申しましょうか。その地ならではの味がどことなくあります。

  


商標にまつわる話(2)

 沖縄は、日本に復帰したとはいえ、今でも、戦争の傷跡を引きずっています。同じ琉球弧の中に位置付けられていた、奄美の当時の苦しみは、察するに余る物がございます。

 戦火を逃れて鹿児島に、命からがらに、疎開されてきた奄美の方々も数多くおられました。
その方々は、生活の糧として、大島紬を作り生活を忍んでおられたのでしょう。私の師匠の都喜ヱ門もその一人で、大島を作る技術はあっても絹糸を買うお金も無く、港に行き、船を繋ぐロープの端切れを拾ってきて、それを解き、糸にして、解いた糸を繋ぎ合わせて、麻織物を作り、それを売って、絹糸を買い、大島紬を作っていた時もあったと、話してくれたこともありました。

  鹿児島に疎開されてきた奄美の方々は、それでも、米軍に占領されている、故郷奄美の人々の苦しみに比べればと、歯を食いしばり、大島紬をつくっていたそうです。
奄美が復帰した暁には、心一つにして大島紬を作ろう。夢を持ち、希望を燃やし続けて、苦境の灯火として頑張っておられたそうです。

 
 復帰するまでは、我々が、大島紬の商標を守ろうと、軍旗と、日の丸印の商標を、使い守り続けてけていたようです。
どお言う訳か、鹿児島の組合変遷の史実を記した、文献が御座いません。
私が長老から聞き集めた情報を基に、歴史的考察を加味して書かせていただいています。

 GHQに統治されていた、日本本土においては、愛国心、軍国主義に、繋がるような物、言は一切禁止された時代、果たして軍旗と国旗を使つた商標はどのような扱いを受けたのでしょうか。使える環境にあつたのでしょうか。
ここらに鹿児島の商標が生まれる発端があったようにも思いなす。

 もう一方の考察は、昭和24年奄美の組合か、業者が鹿児島の業者が奄美の商標を、盗んで(そこまでの言葉が使われたかどうかは別にして、それに近いニュワンスで)使っていると抗議された事があったらしいです。

 このことが、長いこと、商標の本家争いのしこりとなつて、尾を引いた事は事実でしょう。
これが、大島紬の本家争いと絡まって、大島の本家は奄美だ、本場の大島こそ、本物だと、産地の業者も流通の業者もハヤシたてたことも事実でしょう。
 

 私は、本家、発祥の地は、奄美であることは、厳粛に認め、それどころか、世界に誇れる、これだけの素晴らしい物を生み出し、守り続けて方々に心より感謝し心より感謝しております。日本の宝として誇りに思っています。

 かと言って、地球印が、本物で、地球印のほうが良い大島であるとを標榜する事は、絶対に認めません。

ここらで一服して、次をお楽しみに。・・・

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